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パンソリという名称はパンソリが生まれた時から呼ばれた名前ではなかった。 パンソリという名前が広く使われる以前には打令、唱、雑歌、音、芸人音、唱楽、劇歌、歌曲、唱劇調などの名称が使われた。パンソリという名称がいつから使われ始めたのかは詳しくは分からない。パンソリという名称が初めて登場する文献は、全羅北道金堤市萬頃邑出身で1945年の解放直後北朝鮮に行った鄭魯湜(チョン・ノシク)という人が1940年に朝鮮日報社出版部から出した【朝鮮唱劇社】という本である。

したがってパンソリという名称はそれより少し早く生まれたと思われる。ところがこの本ではパンソリという言葉を頻繁には使わなかった。
まず本題目から【朝鮮パンソリ社】と言わないで。【朝鮮唱劇社】とすることで、'唱劇'という名称を使っていることが目を引く。それでこの時にはパンソリという名称が広く使われなかったと推測される。
パンソリという名称が広く使われ始めたのは1945年の解放後と言われる。高齢のパンソリ愛好家や名唱たちに聞いて見ても似た回答だった。ところでパンソリの音楽自体が生まれて200年以上経って生じた名前がとても広く使われるようになり、他の名称はほとんど使われなくなったのはどうしてだろう? どうしてもパンソリという名称が他の名称よりずっとパンソリの特徴をよく現わすからに違いない。ここでまさにパンソリという名称がどのようにして作られた、どのような意味を持っているかを調べる必要がある。私たちが何かを研究する時、何よりも先に語源を捜すのはまさにこのような理由からだ。'パンソリ'という言葉は 'パン'と 'ソリ'という単語を組み合わせて作られた。
それではまず'パン'という言葉に対して調べてみることにする。'パン'という言葉に関しては次のような何種類かの見解がある。
第一に,韓国語では'ノルムパン(賭博場)'、'土俵(シルムパン)'、'巫祭(グッパン)' などのようにパンは賭博、あるいは相撲、あるいは巫祭をする場所を意味する。そして その'パン(場所)'には多くの人々が集まっている事が前提となる。一人で何かをする場所には 'パン(場所)'という言葉は使わない。そして特別な行為に対してだけ 'パン(場所)'を付ける。そのため 'パン(場所)'を付けることのできる言葉は多くはない。それで 'パン(場所)'という言葉の意味は '多くの人が集まる中で特殊な行為が行われる場所'という意味を現わす言葉と定義することができる。
第二に,'シルム ハンパン(相撲の1取組み)'、'囲碁トゥパン(二局)' などで使われるパン(勝負の過程)と同じ意味。この時 'パン'ははじめから最後までの完全な過程を意味する。だからたいてい勝敗を決める場合には勝敗が完全に決まった時だけ 'パン'を使うことができる。
第三に、'パンノルウム'、'パングッ'(韓国の民俗芸能の一種)と同じ意味。パンノルウムやパングッは朝鮮朝の末期に専門流浪人集団がした民俗芸能を示す。彼らは専門的な芸能人で組職され、漂泊しながら人々を集めて民俗芸能を披露し、見物人からお金をもらって生計を立てた。だからこの時の 'パン'とは専門家が行う民俗芸能や行為を示す。このように 'パン'には多様な意味がある。'パン'を一番目の場合のような立場で見れば、'パンソリ'は '多くの人々が集まった場所でする歌'という意味になるだろう。民俗芸能には多くの種類がある。見物人と芸能人の区別がわからない民俗芸能、すなわち民俗芸能をする人だけがいて、見物人がいない場合もあり、芸能人と見物人が区別される場合もある。ここで多くの人が集まった場所とは、当然見物人がたくさん集まった場所になる。見物人をたくさん集めておいてする民俗芸能がまさに公演芸術だ。
だから一番目の意味の中にはパンソリは公演芸術であるという意味があると言うことができる。二番目のような意味で見れば,'はじめから最後まで完全な過程を備えた歌'になるだろう。これはアリストテレスが言うプロット(演劇)でのいわゆる '全体'という概念のようだ。アリストテレスは【メトリック】において、「全体は初めと中間と終りを持っている。初めとはそれ自身の前には何もなく、その次に違う物が存在するとか生成する性質の事だ。終りはこれと反対に、それ自身が必然的で、たいてい他の次に来るが、その次には何らの別のものが来ないという性質の事だ。中間はそれ自身他の次に来て、それ自身の次に他の物が来る。だからよく構成されたプロット(演劇)はでたらめに始めるとか終わってはいけない」と言っている。
それでパンソリとは始めと中間と終りがあるストーリーを歌うという事になるだろう。三番目のような立場で見れば、パンソリは'専門家たちが歌う歌'になるだろう。パンソリは専門的な訓練を通して専門的な機能を習得した人だけができる歌という意味だ。パンソリを愛好する人々の中ではパンソリを直接歌ってみたくてしかたない人々が多い。さすがに好きになれば聞くことだけで満足することができない。どうしても自分でも歌ってみたいだろう。しかしそれは簡単ではない。パンソリは専門的な訓練を受けた人だけができる専門的な芸術だからだ。例えば私たちがサーカスが好きだからといってサーカスを直接することはできないこのと同じだ。専門的な芸術は専門的な芸術家だけができ、一般人はただ見るとか聞くことで満足しなければならない。見るとか聞く事が簡単だと思ってはいけない。
深く見て聞こうとするならば、専門家に近い識見と感性があってこそ可能だ。それで聞く耳を持った人の事を'耳名唱'と呼ぶ。'耳名唱'と'名唱'をこのように用語で区分しているのは、パンソリの聴衆たちがパンソリが専門的な芸術なのを早くから悟っていたという証拠になる。'パンソリ'で 'パン'はどんな意味で見なければならないか、上記の三種類全ての意味で捉えた方が良さそうだ。三種類の意味が皆パンソリの当てはまる特徴になるからだ。

では、'ソリ'とはどういう意味だろう?'歌'が敍情的で短いのに比べて,'ソリ'は敍事的な,すなわちストーリーを持った長い歌を示すと言う主張がある。しかし南道民謡や西道民謡を '南道ソリ'、'西道ソリ'と言ったり、仕事歌も '草取りソリ'、'地突きソリ' などと呼ぶのを見れば妥当性がなさそうだ。ところが 'ソリ'の辞書的意味は「耳に聞こえる空気や物体の早い震動」だ。'ソリ'は聴覚で私たちが受け入れるすべての現象になる。そうであればパンソリの 'ソリ'に関する解釈としては適切ではない。ある人はパンソリを特別に 'ソリ'としたのはパンソリが自然のあらゆる音をすべて表現しているからだと言うが、本来音楽は自然のあらゆる音をすべて表現することができるので、特別にパンソリだけがそうだと思うのは偏見に過ぎない。パンソリの 'ソリ'は 'モクソリ(声)'の略語だと見るのが一番よさそうだ。音楽で人間の声を使う分野は声楽だ。
ではパンソリの 'ソリ'によって、パンソリが声楽の一種であるという事を意味すると言える。声は人間の肉体の一部を使って出すソリ(音)だ。だからこそそれだけ人間的な表現にすぐれる。音楽の中で声楽を第一とする、人間の声帯を最も優れた楽器と言う理由は人間の声が楽器を使って出す音より美しいとか正確だからではなく、人間的だからだ。
もちろん人間の声が違う楽器よりすぐれている理由は、人間なら誰も持っており、使って来た歴史が深く、しかも誰でも簡単に利用することができ。他の楽器に比べて柔軟で表現の範囲が広いからだということもできるが、窮極的には人間的だという事だろう。人間にとって人間より大事なものはありえない。このように見る時パンソリが人間の声を表現の材料にしているという事、そしてそういう事実を名称を通して強調しているというのはとても重要な点に違いない。